北町二丁目にお住まいのみち乃く兄弟のお兄さまより、1枚のCDとチラシをいただきました。
お兄さまのご自宅には、トップリバース音楽事務所の看板あり、前々から気になっていたのですが、やっとお伺いすることができました。
いつもクリスマスの頃に華やかなイルミネーションで飾られ、目にした方も多くいると思います。
今回発売された「渋沢栄一物語」にまつわるエピソードなどをお聞きしました。
—まずは歌手デビューについて—
*いつ・どこで・どんな想いで?
歌手になることは、子どものころからの夢でした。
17歳の時に民謡家の内弟子となり、津軽民謡を極めました。そして38歳の時に、「東日流(つがる)」を唄い、念願の歌謡界デビューができました。
—北町にお住まいになって—
*どんなきっかけで・住んでみて・どんな街に
岩手県から上京して、故郷を思い出せることができる<畑のある練馬区>が気に入りました。
今は、住めば都でほとんど岩手に行くことはなくなりましたね。
—今回発売のCDについて—
*この時期に、タイムリーな題材ですね
コロナで元気を失った国民に元気を届けたい!
一緒に唄って、元気を取り戻したい!
その一念です。
世界的なパワーの渋沢栄一翁のお力を借りて希望を!!
—深谷市との関りは —
*深谷で生まれ育った渋沢栄一翁に縁があった?
栄一翁が好んで食した、深谷郷土料理<煮ぼうとう>の名店の割烹「楓」さんに長くお世話になっていた縁で、渋沢家の子孫(吉岡信彦さん)や、深谷市の名士の方々とも知り合いになることができ、今回の発売に至りました。
そんな深谷市とのつながりも見ることができる「渋沢栄一物語」のミュージックビデオがこちらでご覧いただけます。
MUSIC VIDEO – YouTubeはこちらから
そして、北町を散歩していると「渋沢栄一」のポスターをほかにも見ることがありますね。
練馬区で最初に開園した幼稚園として『りっこう幼稚園』が知られていますが、ここの開設にあたり当時86歳の渋沢栄一様のお力をいただいたことで、この練馬区とも多くのつながりがあるようです。
渋沢栄一とりっこう幼稚園については、こちらのYouTubeでご覧いただけます。
大河ドラマ「青天を衝け」で、全国にゆかりの地を知ることとなりましたが、意外と身近なところにもいろいろな話題がありました。
2024年に20年ぶりに新紙幣が発行され新一万円札に印刷されますので、渋沢栄一物語がしばらく続きそうですね!
コロナが落ち着いたら、カラオケでぜひこの「渋沢栄一物語」思いきり歌ってみましょう!!!
◆ご意見・問合せ先◆ ノースファミリー実行委員会 info@shimoneri.com